トロッコ問題 行為無価値と結果無価値

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ロッコ問題は、義務論と功利主義の対立として説明されることが多いが、行為無価値と結果無価値の対立としても理解できると思ったので、簡単に説明したいと思う。

本題に入る前に、軽く用語を説明しておこう。ここでの「無価値」はドイツ語のUnwert の翻訳であり、「マイナスの価値」を意味する。(以下を参照)

無価値 - Wikipedia

刑法において、違法性を生じさせる「無価値」には、行為による無価値と結果による無価値のどちらが犯罪の違法性の本質であるのかに対立がある。

あまり詳しくはないので、刑法の話はこのくらいにしてトロッコ問題に移ろう。

レバーの前の人は、暴走する列車がこれから、5人轢いてしまうことを知っている。そして、彼は目の前のレバーを操作することで、1人轢き殺すこともできる。

行為の観点から整理すると、彼は作為によって1人を殺すか(A)、不作為によって5人を見殺し(B)にできる。行為無価値の観点によるとAの方が悪い。よってAの方が犯罪となるか、より重い。

結果の観点から整理すると、彼は1人殺すことを容認する(C)か、5人を見殺しにすることを容認する(D)ことができる。結果無価値の観点からはDの方が悪い。よってDの方が犯罪となるか、より重い。

現代人である我々が昔の人に比べて膨大な人々を見殺しにしているからといって、生じさせている無価値が多いというのは無理がある。したがって、行為無価値の方が犯罪の違法性の説明としてはよさそうだと、トロッコ問題を例にすると言えそうだ。