胎界主・シーン・集積 『ヘッド』21ページ

 《ネタばれ注意・最終話を含めたネタバレをしています》ä½èã®ä»£å¼è

 とてもいいシーンですね。ところで、これはどういうシーンなのか分かりまか?  

 私には分かりません。解釈をするために、まず描かれているものを逐一挙げていきましょう。転がるアイスの容器(価値のない物=ゴミ・まだ落ちていない物)と②微笑むように見える稀男(レア?)と聖子とルーサーですね。ここでは、稀男と容器に焦点を当てたいと思います。

 まずについて整理していきたいと思います。この容器はゴミ=価値のない物です。そして重要だと思われるのが、これから落下しそうな物であるということです。落下については、『塔の男』で落下と飛行の性質の違い(作用している力の違い)について語られていました。落下と飛行について考えるのには、紙ヒコーキというモチーフが読み解くのに最適であると思います。その理由は、紙ヒコーキは落下と飛行両方の性質を備えているためです。では、なぜ落下と飛行の性質を併せ持つ紙ヒコーキが重要なのかというと、稀男の人助けを象徴するものだからです。稀男のする人助けは一時しのぎにすぎません。たとえるなら、紙ヒコーキに力を与え(運ぶ力)飛ばした(助けた)としても、それで落下から逃れられるということはなく、結局落下して墜落(死亡)してしまいます。これは、対象の性質に由来するものだと私たちは思ってしまいますが、強大な胎界主である稀男はそのように無力な存在ではありません。稀男自身も自覚するように、相手をゴミのように思っているから、自分のしていることはゴミ箱に放っていることにすぎないのではないだろうかという懐疑が生じます。

 もし仮に、運ぶものが価値あるものであれば、それを飛行させ運び続けることには意味も価値もあるのかもしれません。しかし、終生自身と周囲を運び続けたハウスマンは、同時に周りのどうでもよいものを破滅に運び続けました。ハウスマンは価値あるもの(運ぶもの)と価値のないもの(運ばないもの)の差異を信じてはいません(または信じることができなかった)。それは、彼が罪悪感を抱き地獄に落ちたこと(誕生日 全編8P)からも明らかです。結局ハウスマンは一時価値があると感じたものに縋りそれを運び続けることで人生を終えたのでした。

 以上のことを踏まえて、まず稀男の微笑みについて解釈を述べたいと思います。稀男は、運ぶことで一時的に助けることをしますが、ハウスマンのように深い関係を結び運び続けることは忌避しています。ここのシーンでは、稀男が助けたルーサーが聖子に助けを求めています。このように助けることを託すことは、落とすことによる責任で自我崩壊してしまう稀男にとって好ましい事態だと言えるでしょう。

 では次に容器についてですが、足に当たりそうな容器を避けていることに注目してください。なぜ避けたのでしょうか? 稀男の人助けについて思い出してください。落下と飛行は稀男の力が加わることで現れていることにすぎません。ですので、触れていないものには飛行も落下ももたらすことができません。この時その対象は、稀男にとってゴミではないのかもしれません。

 ところで、稀男の最後の親切は永久に落下しない(死なない)者の命を助けることでした。永久に飛び続けられる存在を運んだことは、もしかしたら無価値とならない何かかもしれないという懐疑を試み続けるということなのかもしれません。諦観の果てにいるソロモンが無限落下を強いるのに対して、最後に稀男が為したのは無限飛行とでも呼べるものなのかもしれません。ちなみに、ピュアと同じく不死である存在で同じく助けたニキとの異同は興味深いものかもしれません。

  終わりに、分からないところはたいていみんなわかっていません。私の書いた文章で分かったという人はでてこないでしょうし、そちらの方が望ましくすらあります。なぜなら、それぞれの言語化の試みの集積こそが胎界主読解の足場として不可欠だと思うからです。

 

:2018年8月11日訂正:なぜかアイスの容器を缶と混同していた。なぜ?